江戸時代の発明家・平賀源内と田沼意次をグーグルで検索すると「関係」と表示されることがあります。
平賀源内は男好きで知られていたようですが、江戸幕府老中であった田沼意次とそのような関係もあったのでしょうか。
そこで平賀源内と田沼意次との関係やキス説について調べましたのでご紹介します。
平賀源内と田沼意次の関係は
1.平賀源内と田沼意次のきっかけ
1729年香川県生まれの平賀源内と、1719年江戸生まれの田沼意次は、10歳差の2人でした。
源内は高松藩の御蔵番の子として裕福な家庭に生まれており、21歳のころ父親が亡くなり藩の蔵番となっています。
しかし24歳のころに長崎に遊学しオランダ語や医学を学ぶと、妹に婿養子を迎えて家督を辞め、再び長崎に出向き鉱山の採掘や精錬の技術を学んでいます。
33歳のころに伊豆で鉱山を発見し、産物のブローカーをしているところを意次の目に止まっています。
商人が大好きな意次は利益を生み出すブローカーとしての源内に好意を抱いたのかもしれませんね。
2.平賀源内と田沼意次はキスする仲!?
平賀源内と田沼意次をグーグルで検索すると、「キス」と出てきますが、恋仲だったのでしょうか。
なぜキスがでてくるのか調べたところ、漫画家のよしながふみさんが書いた「大奥Season2」で平賀源内と田沼意次のキスシーンが理由の可能性が高いです。
男女逆転版の大奥といわれたこの作品は女優の鈴木杏さんが演じる平賀源内が松下奈緒さん演じる田沼意次に一目惚れしています。
そして当時はやっていた赤面疱瘡の人痘接種に成功したほうびに源内が口吸いをねだり、キスシーンが話題になっていました。
松下奈緒さんが田沼意次だったら誰でも一目惚れしてしまいますよね。
平賀源内と田沼意次の実際の関係はBL?
実際の平賀源内と田沼意次の関係に色恋があったのかは、結論から言うとありません。
しかし田沼意次が町人の女性を側室にしたいと考えていたものの、身分の違いでできないことに悩んでいたことがありました。
そこで源内は町人の女性を幕府の医者の養女にすることで意次の側室入りに貢献しています。
そこから意次は源内の才能を見抜き、オランダとの貿易にアドバイザーとしてつかせ、莫大な資金援助をしていたんだそうです。
当時の上級武士などは前例主義や上下関係で外国との貿易には消極的で、その点フリーランスの源内がとても使いやすかったんだとか。
また医学仲間の杉田玄白が解体新書の出版の弾圧を恐れていた時も、源内が将軍家の医者を介して意次に献上したことで、弾圧を受けずに出版でき、大きな医学の発展につながっています。
平賀源内は本当に男好きだった!
江戸時代の狂歌師・大田南畝の記述によると、平賀源内は
彼は芳町のみでよく遊び、北里(吉原)には行かなかった
と書かれています。
吉原は言わずと知れた遊女たちが集うところですが、芳町は男色街だったそうです。
源内は若くて美しい男で、とくに歌舞伎役者が好きだったといいます。
そのため杉田玄白が源内に早く嫁をもらうように勧めてもなにかと理由をつけて断っていたようですね。
平賀源内の大スキャンダルとは?
平賀源内は破傷風にかかり獄中死しています。
なぜ獄中にいたのかというと、米屋の息子で町人の久五郎(異説あり)を殺してしまったからでした。
久五郎が武家屋敷の工事を請け負うことになったものの、源内が「俺ならもっと安くできる」と豪語し、仕様書を作ると2人は盛り上がり酒によって就寝します。
翌朝先に起きて仕様書がないことに久五郎を叩き起こし問い詰めると、寝起きの悪い苦吾郎に
本当に盗んだとしても、誰がお前なんかに言うものか
と言われ、腹を立てた源内は久五郎を頭から切りつけています。
この事件は当時大きなスキャンダルとなったようで、意次もさすがに擁護できなかったそうです。
源内は殺害後に仕様書を見つけ、自主すると投獄されています。
平賀源内の死を悲しんだ田沼意次
獄中は不衛生だったようで、平賀源内は破傷風にかかり獄中死しました。
52歳での若い死となりましたが、当時の源内は自信家で短気をおこす人だったようです。
意次は源内の死を聞くと、こっそり遺体を自分の敷地内にかくまって惜しんだという逸話もあるようです。
まとめ
平賀源内と田沼意次の関係についてご紹介しました。
2人はBL(ボーイズラブ)の関係ではありませんでしたが、国益や医学、さらには意次の側近問題などに幅広く貢献した平賀源内を高評価していたと考えられます。
また源内自身は本当に男性が好きだったことには驚きですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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