2025年2月2日放送の大河ドラマ「べらぼう」で主人公の蔦屋重三郎と暮らしていた唐丸が失踪してしまいます。
唐丸は失踪の直前に女絵の写しが上手いと重三郎から太鼓判を押され、絵師になることを期待されていました。
そこで唐丸は将来誰になって帰ってくるのか、調べましたのでご紹介します。
【べらぼう】唐丸の将来は誰?
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主人公の蔦屋重三郎は江戸の大火で逃げているときに唐丸と出会っています。
唐丸は燃え盛る炎を見つめてぼーっとしていたところを重三郎に助けられています。
そこから重三郎と唐丸は過去を探ることもなく、吉原の近くにある茶屋「蔦屋」で一緒に働いてきました。
ある日唐丸は自身の過去を知っているという男につけ込まれ、蔦屋の金を盗むように追い詰めます。
何度もやってくる男に唐丸は覚悟して近くにあった川に男とともに身投げし、生死もわからず失踪してしまいました。
【べらぼう】唐丸の将来は喜多川歌麿!
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唐丸の将来は誰なのか、調べたところ「NHK2025年大河ドラマべらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜完全読本」に答えが載っていました。
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浮世絵師の喜多川歌麿で、美人画の巨匠とも言われる人物です。
喜多川歌麿の役は俳優の染谷将太さんが演じることが2023年10月の段階で発表されていました。
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染谷翔太さんは2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」以来の5度目の出演になり、田沼意次役の渡辺謙さんから
染谷はもう5度目なんだってな。俺の年の半分でもう5度もやりやがって
と嫉妬されてタジタジだったとか。
幼少期からイケメンの唐丸くんの将来はやっぱりイケメン染谷翔太さんと思うと、これからのドラマが楽しみです。
喜多川歌麿はどんな人?
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喜多川歌麿の性は北川といい、名は市太郎でしたがのちに勇助と改めています。
家系などは明らかになっていませんが、1753年江戸生まれで1750年生まれの蔦谷重三郎とは実際には3歳年下だったようです。
なのでドラマで蔦谷重三郎とのちの歌麿になる唐丸の年齢差はフィクションですね。
歌麿は幼いころより狩野派の絵師「鳥山石燕」(とりやませきえん)の元で絵を習ってきたそうです。
風景画や役者画なども描いてきたようですが、葛飾北斎などには勝てないと美人画に方向転換し大ヒットしています。
重三郎は歌麿の才能を買って二人三脚で次々とヒット作を世に送り出したんだそう。
また歌麿は重三郎の家に身を寄せていたために遊女が多く登場する作品が多いです。
写楽もドラマに登場する?
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写楽も蔦屋重三郎が浮世絵のブームに貢献した人物といえるお抱えの絵師として雇っていました。
重三郎は喜多川歌麿のほかに浮世絵師の写楽や栄松斎長喜、小説家の曲亭馬琴や十返舎一九などを世に知らしめるほどのディレクターでした。
今のところ大河ドラマ「べらぼう」に出演が発表されている俳優は
- 狂歌人・大田南畝役:桐谷健太
- 浮世絵師・北尾政演役:古川雄大
- 浮世絵師・倉橋格役:岡山天音
- 戯作者・唐来三和役:山口森広
- 狂歌人・朱楽菅江役:浜中文一
となっていますので、今のところ出演は決まっていません。
シークレットゲストとして登場する可能性もありますし、出演する役者さんのストーリーを濃く描くために写楽は登場させない可能性もあります。
こちらは情報が公開されましたら追記します。
喜多川歌麿の死因は
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1790年に幕府は出版統制令を出し、検閲を通ったものしか出版が許可されなくなり、浮世絵は禁止されてしまいました。
美人画を世に出せない歌麿の勢いはだんだんとなくなり、いっときは江戸を離れて栃木県で絵を描いていたこともあったそう。
1797年には豊臣秀吉の挿絵と生涯を描いた「絵本太閤記」がベストセラーになります。
1804年に調子に乗って秀吉の「太閤五妻洛東遊観之図」を描いたところ、幕府に咎められ手鎖50日の処罰が下されます。
それが結構過酷だったようで、病気にかかり、1806年に54歳で病死しています。
何の病気にかかっていたのかはわかっていません。
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