フリーアナウンサーのみのもんたさんはどんな家族構成なのでしょうか。
みのさんには息子がおり、万引き事件やコネ入社なども話題になっていました。
そこでみのもんたさんの家族構成や息子の万引き、コネ入社など調べましたのでご紹介します。
みのもんたの家族構成は5人!

みのもんたさんは妻の靖子さんと長男、次男と長女の5人暮らしでした。
奥さんとは大学時代に出会い、1970年に結婚してから家事から衣装選びまですべてを任せてきたようです。
しかし奥さんは2012年に66歳で皮膚がんが小脳に転移して亡くなっています。
みのさんの長男は御法川隼斗(みのりかわはやと)で1980年生まれ、2025年に45歳になり、次男は雄斗(ゆうと)さんで生年月日は不明ですが2025年には43歳か44歳です。
長女のなみさんは2016年で38歳とのことで2025年で47歳または48歳です。
みのさんの3人の子供については次で詳しく説明しています。
みのもんたの息子(次男)の万引き事件とは?

みのもんたさんの次男・雄斗さんはみのさんのコネで日本テレビの社員として勤務していました。
しかし2013年9月ごろ、雄斗さんは路上で泥酔していた男性のかばんからキャッシュカードを盗み現金を引き出そうとして窃盗未遂で逮捕されていました。
その翌月、雄斗さんは日本テレビを解雇されています。
雄斗さんは慶應義塾幼稚舎からエスカレーターで慶應大学商学部を出ていますが、高校時代にも万引きして停学となり、1年留年していたこともわかっています。
それでも大学卒業後は2006年に日本テレビに入社し、7年も勤務していたのに万引きとは悲しいですね。
雄斗さんはその後、みのさんが社長を務める株式会社ニッコクの社員として働いているといいます。
みのさんは給料を与えてないと取材に答えていましたが、雄斗さんには妻と子供2人がおり、お給料が出ないわけはないと考えられます。
みのもんたの長男はどんな人?

みのもんたさんの長男・隼人さんはTBSにコネではなく一般から試験を受けて入社し、アナウンサー志望でしたが一般職採用されています。
過去には「マツコの知らない世界」の初代プロデューサーを務めたこともあり、テレビ出演もしているようですね。

隼人さんも慶応に幼稚舎からエスカレーターで過ごしてきたおぼっちゃまですが、大学時代は横須賀でチーマー(街で強姦や窃盗等を行う日本の反社会的集団)をやっていたという不良だったとか。
そのため2013年に万引き事件が発生したときは次男でなく長男の隼人さんなのではないかと疑われたんだそうです。
みのさんが妻の靖子さんを亡くしたときは隼人さんは高校時代の同級生と結婚し子供もいたようですが、
一緒に住もう
と提案してくれたとか。
若い頃はガラの悪い男だったようですが大人になってまともになったようですね。
みのもんたの長女はどんな人?

みのもんたさんの長女・なみさんは有名女子大学を卒業後、イギリスのオックスフォード大学に留学し、イギリスに住んでいたこともあったといいます。
なみさんはドイツ人の方と結婚しお子さんもいるようですが、みのさんの妻が亡くなってからはみのさんの専属スタイリストをしていました。
みのさんいわくなみさんは顔や性格が妻にそっくりだと2016年のドキュメンタリー番組で語っていました。
一時みのさんの家族は崩壊しているなどど言われたことがあったようですが、素敵な子供ですね。
みのもんたのその後は?

みのもんたさんは奥さんを2012年に亡くし、かなりショックで何もする気が起きなかったそうで、納骨も7回忌にやっとできたといいます。
みのさんは奥さんが亡くなったあと、銀座のクラブで出会った女性とときどきデートし、気持ちを紛らわしていたそうです。
その女性は2019年にみのさんがパーキンソン病を発症してからは献身的に面倒を見てくれたとか。
女性はみのさんと結婚したがっていたようですが、みのさんは結婚はできないと気持ちが変わらなかったようで、かわりに都内の一等地にマンションを買って上げたとか。
みのさんは2025年3月1日未明に80歳で亡くなりました。
死因は明らかになっていませんが、2025年1月ごろ都内の焼肉店で牛タンをつまらせて一時意識不明となり緊急搬送したといいます。
年齢的にも嚥下反射が鈍化しいつ亡くなってもおかしくない状態だったのかもしれません。
ご冥福をお祈りします。
みのもんたプロフィール

みのもんたさんは1944年8月22日 東京都世田谷区生まれ、本名は御法川法男(みのりかわのりお)といいます。
立教大学を卒業後は文化放送に入社し1979年に退社すると父親が経営する水道メーターの会社(現ニッコク)に入社し営業で全国を回ったそうです。
しかしフジテレビに声をかけられ「プロ野球珍プレー好プレー大賞」のナレーションで注目を浴びると、1989年「午後は〇〇おもいッきりテレビ」などでMCとして人気を浴びるようになります。
2006年には週11番組に出演し、「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定されました。
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